アンドロイド作品が好きよってはなし
みなさん。
お久しぶりです。
あーーーー早々にやってしまったなぁ。
ちょっとね、PCがない環境にずっといたりとかね、したりね…。ね…。
そしたらさ、書けないでしょ?アプリじゃさ、書く気になれないじゃない?ね?
ここからはね、続けていきますとも。信じて。
でね、表題の件なんですけども。
アンドロイド関連の作品が好きよっていうはなしなんです。
とは言えパッと思いつくのは
「ブレードランナー」(新・旧)
「Detroit : Become Humen」
くらいなんですけどもね。
こちら二つに関して、ネタバレ交えながら話させてください。
ブレードランナー、デトロイトに共通して心に残ったことがあるんです。
それは、
「アンドロイドが人間に劣等感を感じている」(ように見えるアンドロイドがいる)
ということ。
アンドロイドを、「人を模した存在」と定義するなら、
両作品におけるアンドロイドは完全に人間の上位互換的存在と言えるわけです。
特に、ブレードランナーのレプリカント(アンドロイド)たちは、
頭脳、身体能力共に人間より優れ、感情もある、
新版においては生殖もできるときてるわけです。
そんな存在なのにも関わらず、自分がヒトではないという所に
劣等感を覚えているように見える。これが不思議でした。
〇〇ができない、といった客観的事実ではなく、
「自分はヒトではなく、機械である」という概念的なところに
コンプレックスを抱いているように見えるのがポイントです。
そして、デトロイトをプレイしている時に、
ハッと気付かされたことがございまして。
それは、
「わたし自身も人間>アンドロイドという意識があるのでは?」
ということ。
カーラというアンドロイドが、一緒に逃げていた女の子、アリスは
実はアンドロイドだと知るシーンがあるんですけれども。
正直な所、「あー人間じゃないんだ。」と少しがっかりしたわたしがいたんですよね。
すぐに「いやだから何よ、関係ないわよ!」と思いはしたのですが、
自分の中の選民思想みたいなものに気付かされました。
でもね、このシーン正直このがっかり感を味わった方多いんじゃないかしら。
何故がっかりしたのか、というところに結局答えは出ていないのですが、
なんなんでしょうね…うーん。
わたし自身も、ヒトは唯一無二の素晴らしい存在だと思いたいってことなのかしら。
今までの文章ではアンドロイド作品が好き!という印象を全くお伝えできてはいないと思いますが、好きなんですよ。
だってこんなにモヤモヤさせてくれるからね。
人間って…とか色々考えさせてくれるからね。
なんだかあまりこれといったメッセージのない文章になってしまいましたが、
今日はこんなところで終わりますん。
またね。おやすみなさい。